2023年12月22日金曜日

喜びと感謝と敬いの心

どうも、住職です。 

干支のウサギが示すように日々が駆け抜けて行き、

今年も残すところ僅かとなりました。

本人の自覚や成長とは関係なく時は過ぎてしまうようで、

高田好胤和上から「定運」のお名前をいただいて二十五年、

潮来に来てからは五年目となる今もまだ知らないことだらけ、

学ばせていただくことばかりです。

 今年は本山・薬師寺で念願の国宝東塔落慶法要が執り行われました。

長い歴史の中でも特別な節目となる

この行事の場には多くの方がご参列され、

全員にとはいきませんが出来るだけ一人ひとりの方に

御礼のご挨拶をさせていただきました。


ところがご挨拶するほとんどの方は反対に

「ありがとうございました。」と私に仰って下さるのです。

遠いところから足を運ばれる以前に、

大修理に際して多大なお支えを賜った訳ですから

「いやいや恐れ多い、御礼を言うのはこちらの方ですよ。」

と思っていたのですが、後日勉強していた高田和上の

法話録にあった言葉に気付きをいただきました。


 和上は食前に唱えるお経のあと必ず

「喜びと感謝と敬いの心をもっていただきます。」

と加えられており、薬師寺の僧侶は今でもそれを習慣としています。

これはただご飯に感謝せよという教えなのだと

単純に理解をしていましたが、和上はある日の法話で

「正しい形が正しい心を生み出す母である。心で思っているだけではあかん。」

とご説明をされていたのです。


 落慶法要にお越しの方はご自身が素晴らしい

場面に立ち会えたという喜びを正しい形で伝えて下さり、

それが「ありがとう」という感謝となって表れて

私に「こちらこそ」という相手への敬意を

育てたことになるのだと理解しました。


思っているだけでは伝わりませんし、私の敬意も育ちません。

「喜びと感謝と敬いの心」は全ての事柄につながっていくんだということ、

それを形にして正しい心を生み出す母とすることの奥深さに触れました。


来年は和上の生誕百年という年で、

私が僧侶となって四半世紀という今も

新しい学びを与えてただけることに感謝して、

国宝東塔に使用されていた石を潮音寺で新しい形にして

正しい心を育てるしるしとさせていただきます。

新しい年を迎えるに当たり、皆さまにも是非

この事業にご結縁くださいますようお願い申し上げます。

改めてこの一年も大変お世話になりました。

本当にありがとうございました。


合 掌

村上定運拝

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